10年近く前のことですが、職場のパワハラ上司と悪縁を断ちたく、京都の有名な縁切り神社に、「縁切り」のお願いをしたことがあります。当時私は小さな建設会社に勤務していました。田舎の会社で、社員数は少なく、決してお給料も多くはなかったのですが、その分、勤めている人はみなのんびりしていていい人ばかり。人間関係のストレスとはまったく無縁でした。どこか刺激にかけるところもありましたが、不満はありませんでした。ところが、ある日そんな社風の会社に似つかわしくない強烈な男の人がやって来ました。その人が、私が「縁切り」をお願いしたパワハラ上司です。この人がどういう経緯でわが社に来るようになり、またどうしていきなり上司になったかは知りませんが、「目が血走っていて、ちょっと怖そう」、そんな第一印象を抱きました。そしてその勘は見事に当たっていました。この上司は、会社に入るなり「俺が会社を変えてやる」と意気込み、今までの社内ルールは無視し、自分がルールと言わんばかりの横暴な振る舞いをするようになりました。定時で帰ろうとしている人には「定時に帰るなんて、やる気があるのか」とか「仕事を何だと考えているのか」とか言い出しました。また、少しでも私語をしようものなら、「会社では業務以外の会話は禁止」などと訳の分からないことを言います。特に酷いと思ったのは、女性蔑視の傾向が強かったことです。「女性に昇給は必要なし」とか「子供の用事で有休を取るのは社会人として失格」などと、とにかく言いたい放題でした。このように横暴な人なので、他の人たちが結束して言うことを聞かなければ済む話なのですが、血走った大きな目でジロっと睨まれると、なぜか誰も何も言えなくなり、いつの間にか意見する人もいなくなり、社内は暗く重いムードに包まれるようになりました。私もこの上司のせいで精神的に追い詰められ、もう爆発寸前でした。「会社を辞めよう」と何度も思いましたが、長年勤めた会社だったし、経済的にも辞めるわけにいかなかったので、いろいろ調べて「縁切り神社」にお願いしてみることにしました。その時の精神状態は「藁にも縋る思い」だったことに間違いはありませんが、ただ、「縁切り神社」に対してはまだ半信半疑なところがありました。けれど、万が一の可能性を信じて、思い切って京都の有名な神社でそのパワハラ上司と縁が切れるようにお祓いを受けました。その後、「縁切り」の具体的な効果はありませんでした。パワハラに悩まされる日々が続きました。なので、もう辞めようと覚悟をしました。すると、どうせ辞めるのならその前に、一度その上司と向き合おうという気持ちがわいてきて、思い切って今の自分の気持ちを上司にぶつけました。上司は、意外なほど素直に私の話を聞いてくれて、「新しい会社で、上司としてがんばらなくてはいけないという気持ちが先走り、空回りしていた」というようなことを話してくれました。その後、ほんの少しですが、その上司の態度は改まりました。そして、徐々にもとの明るいムードの職場に戻って行きました。結局、その上司とはその後10年近く一緒に仕事をし、実質は縁が切れたわけではありませんでした。けれど、あの「縁切りのお願い」をした後、不思議と勇気がみなぎり、私は上司に立ち向かうことが出来ました。そしてそれ以来、私はちょっとだけ強くなり、今では「おかしいことはおかしい」と言える自分になり、精神的に解放されました。こういう心の変化も、「縁切り」の効果の一種なのだなあと、実感しています。